出産準備、何を買えばいいのやら
出産予定日の約2ヶ月前まで、妻とマレーシアで一緒に生活していました。
そろそろ出産に向けて準備をしないといけない。
とはいえ、何を買ったらいいのか、てんでわからない。
これが当時の私たちの結論でした。
ベビーエキスポという、ベビー用品を安く購入できる催しがあると聞き、
夫婦で足を運んでみたこともありました。
会場にはベビーカーやベビーベッド、哺乳瓶の自動消毒機のようなものまで、
ありとあらゆるベビー用品が並んでいました。
ところが、何をどう選べばいいのか、さっぱりわかりません。
ベビーベッドやおむつ、哺乳瓶など、それこそChatGPTに聞けば、
赤ちゃんに必要なものの一覧はいくらでも出てきます。
でも、じゃあマレーシアでどのメーカーの、どの商品を買えばいいのか。
となると、もうわからない。
結局、会場をただうろうろした挙句、何一つ買わずに帰宅しました。
ちなみに、私は普段から結構こまめに写真を撮る方なのですが、
この日の写真は一枚も残っていません。
今になって振り返ると、よっぽど「もういいや」となっていたのでしょう。
束の間の一人暮らし
その後、妻が日本へ一時帰国し、束の間のマレーシア一人暮らし生活が始まりました。
私は私で、とりあえずIKEAやニトリなど、ベビー用品が売っていそうなお店を回り、
ひたすら写真を撮っておくことにしました。
ベビーエキスポでは一枚も撮らなかったのに、今度はひたすら写真を撮る。
とはいえ、具体的に何を買うということもなく、
結局出産直前までほとんど何も購入しませんでした。
一人暮らしの生活はというと、特に何かをするわけでもありません。
休みの日には、なんとなくクアラルンプールの方へ出かけてブラブラしたり、カフェに入ったり。
久しぶりに、ゆっくりとした時間を過ごさせてもらいました。
一方で、仕事では役職が変わったこともあり、
勤務の日はなんやかんやとバタバタしているうちに時間が過ぎていきました。
妻は妻で、久しぶりの日本での長期滞在と家族との時間を楽しんでいるようでした。
お互いそこまで密に連絡を取るということもなく、それぞれの生活を送っていました。


父親になる実感って、なんだろう
さて、そんな生活をしていた私ですが、父親になる実感があったのかというと、
全くありませんでした。
とはいえ、このままではさすがにまずいだろうと思い、
電子書籍で『はじめてパパになる本』なるものを購入してみました。
読んでみると、こういうときにはこうしましょう、ああいうときにはこうしましょう、
といった指南書のような内容でした。
もちろん、読めないわけではありません。
ただ、読んでも読んでも、
「ふーん、そうなんだ」
という感想ばかりが先行し、いっさい頭に入ってきません。
これはまずい。
そこで、少し方向性を変えて、今度はエッセイを読んでみることにしました。
川上未映子さんの『きみは赤ちゃん』です。
これが良かった。
とにかく描写が生々しく、読んでいて何度も考えさせられました。
つわりというものがどれほど辛いのか。
妊婦という存在が、体力的にどれほど大変なのか。
母親になることで、精神的にもどれほど辛い場面が出てくるのか。
そして、そうした経験の中にある喜びや、これまでとは違った感覚。
それらがありありと伝わってきました。
これから父親、母親になるという方には、ぜひ読んでみてほしい一冊です。
女性が書かれているので、当然女性側の視点が中心になりますが、
私は男性にも読んでほしいと思いました。
別に、こんなに大変なのだから女性を労わりなさい、と言いたいわけではありません。
ただ、こういう状況にあることを知っているのと、知らないのとでは、
妻への関わり方も変わってくると思います。
男性側の目線で言えば、自分の中で納得する落としどころも変わってくるのではないでしょうか。
ありがたいことに、私の妻はつわりの症状がそれほど強くありませんでした。
当時はそのことをあまり深く考えていませんでしたが、本を読んで、
つわりをそれほど心配せずに過ごせたことは本当にありがたいことだったのだと感じました。
また、妻が急に眠くなったり、不安になったりすることについても、
そういうことが起こるものなのだと、納得感を持って接することができました。
(納得感がないと接することができないのか、という話は置いておいて。。。)
では、この本を読んで父親になる実感が湧いてきたのか。
と言われると、そんなこともありませんでした。
そもそも、実感が湧くってどういう状態なんでしょうか。
よく「実感湧いてきた?」と聞かれることがありましたが、
何をもって実感が湧いたと言えるのか、私にはよくわかりませんでした。
そんなことを考えているうちに、もはや禅問答のようになってしまい。。。
つまり、やっぱり実感はありませんでした。

立ち会うか、一緒に過ごすか
そんな私をよそに、妻のお腹は徐々に大きくなり、出産の日も近づいてきました。
そして、ここで一つ問題が出てきました。
私はいつ日本へ帰国するべきなのか。
妻は、どちらかというと出産に立ち会ってほしいという考えを持っていました。
しかし、私の職場では、状況を考慮して休暇の取得に協力してもらえるとはいえ、
基本的には3ヶ月ほど前に休暇の希望を伝えておく必要があります。
そして、取れる休みは長くても約2週間。
出産予定日というものは、あくまで予定日です。
当然、その日に生まれるとは限りません。
早まる可能性もあれば、遅くなる可能性もあります。
そこで、まず考えたのが、予定日を中心に前後1週間ずつ休みを取るという案でした。
仮に予定日が4月15日だとすれば、4月8日頃に日本へ入り、22日頃に出国する。
こうすれば、出産に立ち会える可能性が一番高くなるのではないか。
当時の私たちなりに考えた結果でした。
ところが、よくよく考えると、この方法には大きな問題があります。
仮に出産が1週間早まってしまった場合。
出産に立ち会うつもりで日本へ行ったものの、
すでに子どもは生まれていて、妻と子どもはまだ入院している。
逆に、1週間遅れてしまった場合。
これからいよいよ生まれるというタイミングで、私はマレーシアへ戻らなければならない。
何しに来たんだろう。
まさにこれから生まれるというときに帰るなんて、
後ろ髪を引かれるどころではありません。
もちろん、あくまで可能性の話です。
予定どおりに生まれてくれれば、何の問題もありません。
ただ、出産が予定日からどちらにもずれることは十分に考えられます。
そこまでのリスクを取るべきなのだろうか。
そこで出てきたのが第二案。
出産予定日よりも十分に後ろへずらし、
すでに生まれているであろう時期に日本へ帰国するというものです。
この方法なら、出産への立ち会いは最初から諦めることになります。
その代わり、2週間という限られた休暇を、
ほぼ確実に妻と子どもと一緒に過ごす時間に充てることができます。
どちらを選ぶべきか。
私たちとしては、なかなか究極の選択でした。
妻には、出産に立ち会うことで私にも父親としての自覚が芽生え、
実感が湧くのではないか、という考えがあったようです。
ただ、私はそこに疑問を持っていました。
立ち会えば、本当にそういうものが芽生えるのだろうか。
そこまでのリスクを取るべきなのだろうか。
それならば、立ち会いはできなくとも、
確実に一緒にいられる時間を長く取った方が良いのではないか。
結果的にそちらの方がいわゆる実感というのが湧くのではないか。
もちろん、妻が立ち会ってほしいと考えていることもわかります。
でも、もし出産が遅れたら。
まさしくこれから生まれるというときに、私だけ日本を離れなければならない。
本当にそれで良いのか。
どちらの案にも、譲らなければならないものがあります。
そんなわけで、話し合いという名の絶叫大会も開催されました。
結局、妻には立ち会ってほしいという気持ちが残っていたものの、
現実的に考えて、後者の案を選ぶことになりました。
出産には立ち会わず、その代わり、生まれてから一緒に過ごす時間をできるだけ長く取る。
そう決めました。

「始まったかも」
そして、いよいよ出産が近づいてきました。
当時のLINEを見返してみると、出産予定日まであと1週間ほどとなった頃、
「変に早産とかにならなくて良かったね」
といったやり取りをしていました。
その後も、私が日本へ帰国した際に家族写真を撮ろうという話になり、
撮影場所をどうするか、どこへ連絡するかなど、ごく普通の会話が続いていました。
そのやり取りをしていたのが、夜の9時頃。
そして、数時間後。
夜中の2時頃に、妻から一通のメッセージが届きました。
「始まったかも」
さらに朝4時半頃には、やはり病院へ行くとの連絡が。
ただ、連絡はメッセージだけだったため、私が気づいたのはこの朝4時半頃でした。
いよいよか。
とはいえ、私は朝早いシフトだったため、そのまま普通に仕事の準備をして出勤しました。
なまじっか本を読んでいたので、
「まぁ、ここから2、3日かかることもあるらしいしね」
なんて考えていました。
そして、いつもどおり仕事をして、
お昼休憩になったところで、もう一度スマートフォンを確認しました。
すると、妻からメッセージが届いていました。
「無事生まれました」
え。
本当に、この一言でした。
てっきり、まだ時間がかかるものだと思っていました。
もちろん、妻にとっては大変な出産だったのでしょうが、
遠く離れたマレーシアにいた私からすると、驚くほどあっさりと生まれてきたように感じました。
何事もなく、無事に生まれてきてくれたことは本当に良かったです。
その後、妻と少しだけビデオ通話をしました。
ただ、子どもは検査中とのことで、画面越しに姿を見ることはできませんでした。
そして、送られてきた写真。
そこには、つい先ほど生まれたばかりの我が子が写っていました。
「おぉ、本当にいるんだ、、、?」
というのが、正直な感想でした。
ただ、写真を見ても、まだ自分の子どもであるという実感はほとんどありませんでした。
こうして、実感は薄くとも、名実ともに父親としての日々が始まるのでした。


コメント