マレーシアで、父親になるらしいです

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2026年、マレーシアで暮らす私たち夫婦に、子どもが生まれました。
この「育児の記録」では、役立つ情報というよりも、妊娠から出産、マレーシアでの子育ての中で起きたことや、そのとき私が感じたことを記録していきます。

少し間が空いてしまいました。

その間に、タイトルにもあるように、子どもが生まれました。

出産はマレーシアではなく、日本での里帰り出産になり、

先日、妻と子どもが日本からマレーシアへ戻ってきました。

もうすでに、子どもはこちらの保育園に通い始めています。

妊娠がわかったころには、まだ影も形もよくわからなかった人が、

今では毎朝、私たちの都合などお構いなしに泣いたり笑ったりしています。

そう考えると、この半年ほどの間に、ずいぶんいろいろなことがありました。

少し時間は経ってしまいましたが、忘れてしまう前に、

そのころのことを順番に残していこうと思います。


マレーシアで暮らし始めて、一年半が過ぎたころでした。

最初のころは、どこへ行くにも少し肩に力が入っていました。

Grabの乗り場がわからなかったり、

スーパーの野菜の値段が高いのか安いのかわからなかったり、

部屋の契約ひとつにも妙に緊張していた気がします。

それがいつの間にか、近所の道やモールの雰囲気、

空港へ向かう高速道路にも少しずつ慣れてきました。

旅行にも何度か出かけました。

週末に少し遠くまで出かけ、写真を撮り、帰ってきて、また仕事に行く。

そんなふうに、マレーシアでの生活はゆっくりと日常の顔をし始めていました。

その日、私が仕事から帰ると、玄関の前にスーツケースがどんと置かれていました。

もともと妻のビザの関係で、妻だけが日本の実家へ一時帰国することになっていたのです。

期間は一か月ほどでした。

つかの間のマレーシア一人暮らし。

海外でひとりになるというのは、どこか変な開放感があります。

寂しいような。

嬉しいような。

いや、嬉しいような。

やっぱり少し嬉しいような。

そういう、妻にはあまり大きな声では言えない気分でいました。

妻の便は、クアラルンプールを深夜に出る便でした。

空港まで見送りに行くこともあるのですが、翌日は私も仕事がありました。

なので今回は、家で見送ることにしました。

なんやかんや、早く寝ないとな。

そのときの私は、そんなふうに自分の翌朝のことばかり考えていました。

すると妻が、

「少しだけ話せる?」

と言いました。

声に、いつもと違う硬さがありました。

配偶者から「少しだけ話せる?」と言われると、人はたいてい背筋を伸ばすものです。

楽しい話が始まる感じではありません。

心臓の横を、細い指でぴんと弾かれたような感じがしました。

なんだなんだ。

なんなんだ。

私は椅子に座り、聞く体勢を作りました。

妻は少し間を置いてから言いました。

「妊娠したかもしれない」

にんしんしたかもしれない。

自慢ではありませんが、私はその言葉を、異性から正面切って言われたことが一度もありませんでした。

もちろん、言葉の意味はわかります。

テレビでも、ドラマでも、そういう場面は何度も見てきました。

一瞬、昔見ていた海外ドラマの『Friends』で、登場人物の一人が “I’m pregnant.” と言われていた場面まで思い出しました。

英語の授業で覚えたフレーズのように、その言葉だけが頭の中に浮かびました。

ドラマの登場人物は固まったように動かなくなり、オーディエンスに笑われていましたが、私も同じでした。

頭が真っ白になった、というより、顔の置き場所がなくなったような感じでした。

喜べばいいのか。

驚けばいいのか。

抱きしめればいいのか。

何か気の利いたことを言えばいいのか。

普段なら、その場に合った言葉を探すのですが、そのときは何も出てきませんでした。

絞り出したのが、

「おっ、おぉ、そうか」

でした。

今思い出しても、もう少し何か言えなかったのかと思います。

世の中の正解としては、きっと満面の笑みで「やったね」と言う場面なのだと思います。

でも、あのときの私は、本当にそれくらいしか言えませんでした。

もちろん、青天の霹靂というわけではありません。

身も蓋もない話をすれば、そういうことをしてきているのだから、

いつかそういうことになるのだろう、くらいには思っていました。

でも、頭で知っていることと、それが自分の部屋の中で起きることは、まったく別でした。

ふわっとしたものと、ぐわっとしたものが、胸のあたりで絡まっていました。

うれしいのか、不安なのか、怖いのか。

どれもあるようで、どれにも名前をつけられませんでした。

妻も、私の反応を見ていました。

私も、妻の顔を見ていました。

その間に、なんとも言えない沈黙がありました。

けれど、妻はもう空港へ向かわなければなりません。

大きな話を置いたまま、時間だけが淡々と進んでいきます。

「とりあえず、日本でもう一度検査してくる」

そう言って、妻は日本へ帰っていきました。

妻がいなくなった部屋は、思ったより静かでした。

妊娠したかもしれない。

その言葉だけが、部屋のどこかに残っていました。

とにかく、どこかに置き忘れられているような感じがしました。

世の中のお父さんたちは、この言葉を聞いたとき、どんな反応をするのでしょうか。

やったね。

おめでとう。

これから頑張ろうね。

そういう言葉がすぐに出てくる人もいるのだと思います。

私にも、もちろん嬉しい気持ちはありました。

ただ、その気持ちが自分の口まで上がってくるのに、少し時間がかかりました。

正解は知っている。

でも、それがそのまま口から出てこない。

その理由は、自分でもよくわかりませんでした。

妻が日本へ帰ってから二、三日後、産婦人科で診てもらったという連絡が来ました。

きちんと妊娠していることが確認できたとのことでした。

また私は、

「おぉ……おぉ……」

くらいの反応しかできませんでした。

自分のことを人に話すのが苦手な私ですが、そのころは珍しく、誰かに話したくて仕方がありませんでした。

相談したいというより、ただ誰かに聞いてほしかったのだと思います。

でも、これは私だけの話ではありません。

妻の体のことでもあり、これから生まれてくるかもしれない子どものことでもあります。

迂闊に誰かに話していいことではありませんでした。

調べれば、情報はいくらでも出てきます。

妊娠初期。

海外出産。

マレーシア 妊婦健診。

父親 準備。

検索窓に入れられそうな言葉はいくつもあるのに、何を調べればいいのかがわかりませんでした。

それで私は、考えることを少し先に送りました。

今思えば、あの一か月は、私が「父親」という言葉の前でもじもじするための時間だったのかもしれません。

ひとりの部屋でシャワーを浴びていると、嫌でもそのことが頭をよぎりました。

子どもが生まれてくるらしい。

そうかそうか。

どうするの。

いや、どうするのと言ったって、ある程度わかってはいたでしょう。

そんな自問自答が、浴室の湯気の中で何度も回りました。

そのせいで、頭を洗っている途中に、

あれ、シャンプーやったんだっけ。

と思うことが何度もありました。

結局、もう一度洗います。

そしてまた考えます。

子どもが生まれてくるらしい。

それからまた数日後、妻からエコー写真が送られてきました。

「きちんといました!」

というメッセージが添えられていました。

画面には、白黒の、正直よくわからない写真がありました。

どこが何なのか、見てもよくわかりません。

けれど、医師が見れば、そこにいるのだそうです。

そうか。

いるのか。

私はスマホの画面をしばらく見ていました。

その写真を見た瞬間、急に父親としての自覚が湧き上がった、ということはありません。

そんな便利な変化は起きませんでした。

ただ、それまで言葉でしかなかったものが、少しだけ形を持ちました。

ほんの少しだけ、こちら側に近づいてきました。

妻が日本に一時帰国していた約一か月は、結果的に私にとっても必要な時間だったのだと思います。

妻にとっては、病院に行き、実家で過ごし、体を休める時間になりました。

私にとっては、父親になるらしい自分に、少しずつ目を慣らしていく時間になりました。

マレーシアでの妊娠生活は、こうして始まりました。

大きな決意表明もなく、感動的な抱擁もなく。

深夜便を待つスーツケースと、うまく言葉が出てこない夫と、白黒のエコー写真。

そこから始まった子どもは、今、マレーシアの保育園に通っています。

日本の病院で受診した際に撮影してもらったエコー写真

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