これまでの記事では、マレーシアでの「最初の1ヶ月」のリアルな体験をお伝えしてきました。
今回は、私たち夫婦が、
なぜマレーシアという国に惹かれたのか。
そして、どうして「ここで働きたい」とまで思うようになったのか。
それは、あまりに偶然が重なった出来事から始まりました。
「マレーシアに呼ばれた」とすら感じるような、いくつものタイミングの一致。
この記事では、そんな不思議な出会いと、そこから始まった内面的な変化について、
素直に綴ってみようと思います。
もし今、あなたが何か新しいことを始めたいと思っていたり、未来への一歩を迷っているなら――
この体験が、ほんの少しでも背中を押すきっかけになれば嬉しいです。
💭 漠然とした海外への思い:日常の中にあった「もしも」

「このままで、いいのかな?」
日々を過ごす中で、ふとそう感じることってありませんか?
私も、かつてはそうでした。
日本での毎日は、特に大きな不満があるわけではなかったけれど、
どこか心の中で「何か違うこと、ないかな?」と漠然とした思いを抱えていました。
新しい刺激や変化を求めているのに、具体的に何をしたらいいのか、
どんな選択肢があるのか、まるで見えない霧の中にいるようでした。
そんな中で、頭の片隅にはいつも
「もしも、海外で暮らせたら、どんな毎日になるんだろう?」
という、ぼんやりとした憧れがあったのは確かです。
でも、それは具体的な行動に移せるわけでもなく、
ただ「いつか」「どこか」と思い描くだけの日々でした。
それに、正直な話、数ある海外の中でも東南アジアというエリアには、
あまり強い興味が持てていませんでした。
インターネットで「マレーシアは移住したい国No.1」なんて情報を見かけても、
「へえ、そうなんだ」くらいにしか思っていませんでした。
当時の私にとって、それは遠い国の、自分には関係のない話だったんです。
✨人生を変えた、マレーシアでの「予期せぬ出会い」

そんな「いつか、どこか」と夢見ているだけだった日々に、
まさに突然の知らせが舞い込んできました。
妻のもとに届いた、共通の知人からの結婚式の招待状。
その会場が、他ならぬマレーシアだったのです。
その知人は、すでに10年近くマレーシアで働き、現地で生活されている方。
まさかマレーシアで結婚式を挙げるとは思ってもいませんでした。
日程は7月初旬。
以前の私であれば、小学校教員という立場上、この時期に休むのは不可能でした。
でもその時は、ちょうど異動先の職場が比較的休みを取りやすい環境で、
さらに、私自身も10年ぶりの海外に行きたい気持ちが高まっていたんです。
新型コロナウイルスの影響で長らく難しかった海外旅行も、
ちょうどその頃からようやく落ち着きを見せ始めていました。
いくつもの偶然が重なり、「これはもう、行くしかない」という流れに。
正直なところ、この時点でもマレーシアに対する私の印象は薄く、
「まあ、結婚式でもなければ縁がなかった国だよね」と、
どこか他人事のように捉えていたのを覚えています。
でも、まさかこの旅が、私たちの人生を大きく変えることになるなんて…。
当時の私は、夢にも思っていませんでした。
🏙️初上陸で感じた衝撃:マレーシアは「生活できる」場所だった

いよいよクアラルンプール国際空港に降り立つと、
約10年ぶりの異国の空気が肌に触れ、何とも言えない高揚感に包まれました。
独特の匂い、これまでにない雰囲気。
「海外に来たんだな」と実感する、あの特有の感覚が身体中に広がっていきます。
正直、来る前はそこまで期待していませんでした。
でもこの瞬間に、「ああ、来てよかった」と心から思いました。
空港からKL市内までは、電車での移動を選びました。
中は想像以上に清潔で、トラブルもなくスムーズに到着。
(ただし、冷房が強すぎてかなり寒かったですが…!)
まだホテルのチェックインには早すぎたので、
とりあえず街中のスターバックスへ。
都市圏にもかかわらず座席には余裕があり、
値段も日本とほぼ同じか、むしろ少し安いくらいの感覚でした。
そして、人生初のGrab(配車アプリ)を使ってみることに。
日本でもこうしたアプリは使ったことがなかったので、最初は少し緊張しました。
「ちゃんと迎えに来てくれるのかな?」と不安でしたが、
問題なくピックアップしてくれて、しかも驚くほど安い!
「本当にこの値段でいいの?」と戸惑うくらいの安さでした。
飲食に関しても、今回は屋台のようなローカル店にはあまり行かなかったものの、
欧米のように外食が高すぎるということもなく、
オシャレで清潔なカフェで、美味しい食事をリーズナブルに楽しめました。
「ここなら、日常的に外食しても大丈夫そうだな」と感じたのを覚えています。
街中を歩いていると、あちこちで見かける日本食レストラン。
日系スーパーも想像以上に多く、
英語もある程度通じる。
すべてが完璧に伝わるわけではないけれど、困るほどではない。
そして何より、人が優しい。
道に迷いそうなときや困っているとき、
そっと助けてくれる人たちに、何度も出会いました。
そんな体験を重ねるうちに、心の中に少しずつ変化が生まれてきました。
「あれ? ここなら意外と生活していけるんじゃないか?」
「移住したい国No.1」なんて半信半疑だったけど、
わずか数日の滞在で、いつの間にかその言葉を実感するようになっていたんです。
この疑問符は、帰国後にやがて
「ここで生活したい」という確信へと
静かに、でも確かに変わっていくことになります。
🌱帰国後の変化:移住への確信と、心に芽生えた新たなビジョン

マレーシアから帰国した私は、
旅の中で感じた
「ここなら生活していけるんじゃないか?」という思いの答えを探すように、
すぐに情報収集を始めました。
マレーシアで本当に暮らしていけるのか。
働くことは可能なのか。
家探しは? 英語は? 食事は? 日常はどうなるのか——。
インターネットやYouTubeを中心に、ひたすら検索し続けました。
もちろん、ネット上の情報はキラキラした“いいとこ取り”かもしれない、
という警戒心も少しはありました。
でも、それよりも好奇心のほうが圧倒的に勝っていて、
気づけば、調べれば調べるほど
マレーシアという国にどんどん惹かれていく自分がいたんです。
仕事のこと、生活費、医療、住宅、文化、交通手段…。
知れば知るほど、
「もっと知りたい」
「試してみたい」
そんな気持ちがどんどん膨らんでいきました。
そして、ある程度情報が揃った頃には、
もう私の中で答えは出ていました。
頭の中でぼんやりと描いていた「いつか」のマレーシア生活が、
「行ってみよう」という現実的な決断に変わっていたのです。
このとき私は、ふとこう思いました。
「自分にも、こんな新しい生き方ができるんだ。」
これまでにないビジョンを見つけられた気がしました。
🏃♂️次なる一歩へ:迷える同年代へのメッセージ

気づけば私は、マレーシアで生活することを夢見るようになっていました。
あまりスピリチュアルな話は得意ではないのですが、
一連の出来事を振り返ってみると、
なんだか「導かれたのかな」と思わずにはいられません。
たまたま知人がマレーシアで結婚式を挙げることになって、
たまたま私が教員を辞めていて、しかも休みが取りやすい職場にいて、
その転職のきっかけがコロナだったり。
いろんな偶然が重なって、今回の旅が実現して、
それがこんなふうに人生を動かすとは、自分でも思っていませんでした。
そして、改めて思ったのは、
やっぱり「体験」って大事だな、ということ。
マレーシアで「ここで暮らしてみたい」と思えたのは、
実際にその土地を歩いて、人と接して、空気を感じたからこそだったんだと思います。
ネットの情報だけではわからなかった、あの“実感”。
それが、いつの間にか「確信」になっていたんです。
もし今、同じように
「何か始めたいけど、どうすればいいかわからない」
そんな気持ちを抱えている人がいるなら、
無理に大きなことをしようとしなくてもいいのかもしれません。
私たちもそうだったように、
ちょっとしたお出かけや、気になっていたことを試してみる——
そんな“ささいな体験”の中に、
何かのヒントが見つかることってあると思うんです。
見えない霧の中にいるようなときこそ、
ほんの一歩でも動いてみることで、
思いがけず景色が変わること、あるかもしれません。
次回は、「ここで働きたい」と思うようになった私たちが、
実際にどんなふうに就職活動に挑んだのか――。
応募から内定までのリアルな流れや、
面接で感じたこと、英語への不安、現地での対応など、
包み隠さず綴っていきます。
これからマレーシアで働いてみたいと思っている方にとって、
少しでも参考になる内容になれば嬉しいです。
ぜひ、次回も読んでいただけたら嬉しいです。